3.11に想う

皆様、お世話になっております。代表の小松です。久々の投稿にて恐縮です。
東日本大震災から15年。そんなに経ったんだ。という率直な感想です。我が家では妻の発案により、この日の夕食はいつも、おにぎりと汁物のみで当時を思い出し、被害に遭われた方々や防災について思いを寄せる時間にしております。
私は東京で震災に遭遇しました。4日間に渡る研修の最終日、家に帰られる金曜日でした。教室内が激しく揺れ、近くにあった倒れそうになる棚を押さえながら、その揺れの大きさから当時噂のあった首都圏直下型地震が来た!と感じました。
程なく揺れは収まり、研修も再開する中、余震もあり研修はそこで終了、解散になったと記憶しています。
ここからが問題でした。当時はスマホも無く、ガラケーのiモードが情報収集の要でした。戻る予定の新幹線は運休、そもそも都内各路線が運休の為、移動手段が限られていましたので徒歩で近場でホテル群がある新宿に向かいました。

その道中での法面崩落の写真です。東京でも結構揺れたようでした。
奇跡的にカプセルホテルが取れたのでまずは安堵。
家族の安否はSMSで確認出来、こちらも安堵😌
やっとTVが見られて、どうやら震源は東北らしく、津波が発生しているらしいとの情報に困惑しました。
次に飛び込んで来たのは沿岸にあるコンビナートが燃えている画像でした。一体何が起こっているのか、ただ空恐ろしさを感じたのを覚えています。情報取得の大切さが身に沁みましたね。
地震被害の為、陸路は難しいだろうと羽田空港を目指す事を決め、家に帰る事が出来るのかと不安で眠れぬ夜を過ごしました。
今はスマホがあって、リアルタイムに情報が入る事を思うと当時の自身の行動にもどかしさを覚えます。
翌朝、運行状況が良く分からない電車を乗り継ぎ、どうにか空港へ辿り着き(この件を書くと長くなる為、割愛しますが、ほんと大変でした🥲)、無事に青森空港の最終便に滑り込み、家族の迎えにて、家に帰る事が出来ました。幸い、地元や自宅は停電には見舞われたものの大きな被害はなく、被災された方々には申し訳ないのですが、ようやく生きた心地になった事を覚えております。
あれから15年、こうやって文章にする為、思い出していると記憶が曖昧であったり、抜け落ちたりしている事に気付かされました。様々な機会を持って記憶を繋いでいく為にも、3.11という日をこれからも、キッカケにして家族や会社で話し合うタイミングにしていこうと思った次第です。
最後までお付き合い頂き、ありがとうございます😊












